次の日、目を覚ましたのは朝の9時頃。
昨日のホラー映画のシーンが嘘のように消え去り、ホテル内は温かい光であふれていた。
朝食を終え、チェックアウトを済ませて、おそるおそる外へ踏み出した私は、
昨晩との景色の違いに面食らった。
光がさんさんと降り注ぎ、草花の緑が風に揺れている。
花を持った老夫婦が和やかに話しながら散歩を楽む、のどかで静かな通り。
昨夜の殺伐とした雰囲気は夢だったのかと疑いたくなる光景である。
9月はもう寒いと思って長袖ばかり準備したが、汗をかくほどに暖かい日だった。
後半になるにしたがい、 秋のジャケットが必要な日が増えていきます、少なくとも北カレリア地方では。
私は同じ大学からきた先輩と二人で、川の見える方へ スーツケースを押しながら歩いて行った。
迷いながらも自分のアパートを見つけ、荷物を置いて、
今度はチューターに会うために、橋が架かる川の方へと歩いていく。
歩くほどに、私はだんだんと深く、この情景に心を奪われていった。
あたたかな光が包み込む空間の中に、やわらかい緑の芝生と、ゆらゆら揺れる白樺の葉のカーテン。
雄大にゆっくりと流れていくフィニッシュブルーの川が、
白樺の幹の白と、頭上にサラサラと揺れる葉の緑のコントラストを演出していた。
普通の青よりも、深い青色をしています。
私はきっと今まで一度だって、このような景色に出会ったこと・想像できたことはなかった。
こんなに青々とした川を見たことがあるだろうか。
サラサラしなる白樺の木々が太陽光を受けて、黄金の光のシャワーを芝生の上に投げかける。
ずーっと見ていたくなる。安心感に包まれて、不安がすーっと消えていくような、
何にも例え難い光景だった。
まるで、おとぎ話の中の世界を見ているようで、自分の目の前に広がっていることが信じがたかった。
真っ白なシャツ、ヴィンテージのショルダーバッグと革靴。
少し丸まった背に、鞄をかけている方の右肩をあげて。
完璧にゴールデンな短い髪が、一番に目をひいた。
どうしよう、すごく、緊張する。
チューターを担当するのは、大学で何度も経験してきたが、チューター「される」のははじめてだった。
いざされる側となると、これほど緊張するものなのか…。
しかも、彼は私がはじめてちゃんと会話するフィンランド人…
そう思うと、これまで特に何も思っていなかったのに突然
「フィンランド人」=「得体の知れない国の人」
という感覚がのし上がってきて、急に怖くなった。
「Hello! Nice…
懇親の愛想で元気よく挨拶…しようとした瞬間、
「よし、行くか?(should we get going?)」
終始早口で、回りくどい言い回しを使いながら皮肉っぽく話す彼の英語はとても聞き取りづらかった。
「ずっと物理を学んでいたんだが、これからビジネス学部に行くことを検討してる。」
日本人の理系男子の偏見で、早口で難しい話を延々とする人がいるが、
彼の話し方はちょうどあれの英語版である。
その後も、終始歩きながらずっと話していたのだが、
正直、聞き取れたのは節々の単語くらいで、理解力は50%くらいだった。
英語は得意で、これまでも英語の会話練習をたくさんしてきた私にとって、
彼が何を言っているかきちんと聞き取れないのが「自分の努力不足」と言われているようで悲しく、
うんうん、と、わからないところをわかったふりをして話を合わせる自分が
情けなくて、申し訳なくて、恥ずかしかった。
何も聞き取れない自分にショックを受けている間に、
私たちは橋の下へ降り、川沿いを歩きだした。
川沿いをこんな風に歩く…。
それは私がひそかに、心のどこかで、ずっと夢見ていたことだった。
今にも溢れだしそうな青くダイナミックな水流の横を歩く。
夕方、空が赤や青や紫に染まるとき、自分ひとりきりで何も気にせず、
ここをのんびり散歩できたならどんなに贅沢だろう。
昨日は ”一年も暮らさなきゃいけないなんて…” だったのが、
気が付けば ”ここで一年も暮らせるなんて…” に変わっていった。
ふと、日本で送り出してくれた両親や学校の人たちの顔が浮かんで、
彼らがいなかったら、一生この景色に出会えなかったかもしれないと考える。
景色への感動の気持ちが、頑固な私の中から、素直な感謝の気持ちを引き出した瞬間だった。
次回のお話
英語圏じゃない留学先ゆえに苦労したこと一覧。
コメント