私は英会話学習アシスタントとして、日本人の生徒さんに英語を教えていました。
そんな中、生徒さんからよく聞いたのは、
「私は英語を上達させたいので、英語圏に留学したいです」
という意見。
今回は、フィンランドという非英語圏に留学した私が、この意見をかみ砕きながら、
「非英語圏の交換留学」を、英語上達の視点から考えていきたいと思います。
「留学=英語上達」という式
まずは、そもそも留学で英語が上達するのか、について考えましょう。
もし「留学を通して、英語が上達する」なら、私は「そう思う」と回答しますが、
まだまだ多くの人が「留学するだけで、英語が上達する」と思ってしまっているようです。
英会話アシスタントをする中で、生徒さんに次によく言われたのは、
「スーイさんはフィンランドに1年留学したんですね。あ、じゃーーー英語話せて当然ですね!!!」
でした。
「外国人」から教わるのが定型である英会話レッスンで、
講師の私が純ジャパであることを確認したや否や、
「帰国子女なんですか?」 ― 「いいえ」
「あ、じゃあ海外に数年住んだことがあるとか?」 ― 「いいえ」
と、質問し続け、
とうとう「じゃあ、海外留学でしょうか?」 という質問に私が
「はい、フィンランドに1年留学していました」と答えると、口をそろえて
「あ、だからかぁ!!だから英語話せるんですね!」
と言うのです。
こう言われる度、私はこれまでの自分の勉強の努力を、無に帰されたような気持ちになります。
たった1年海外に居ただけで、英語のレベルが20%から90%になると、本当に思いますか???
確かに留学で英語は上達しましたが、過去に積み上げてきた勉強量と比べれば、ほんのわずかなもの。
ネットで世界中とつながれる現代において、日本でだって、自力で英語を上達させるのは大いに可能なことです。
それでも私たちが、英語が自分より上手に話せる相手には「海外に居た証拠」があるはずだ!
と思ってしまうのは、
「自分が満足に英語を話せないのは、環境のせいだ」と信じたい気持ちが背景にあるからではないでしょうか。
だからこそ、自分の留学先には、
「英語圏」という「英語上達における最高の環境」を求め続けるのだと思うのです。
留学で必ずしも言語が上達するわけではない話
発音を重要視しすぎ
英語圏とはどこぞや
ところで、英語圏ってどこでしょう?
英語圏=アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダ、
と思ってしまいますが、世界には「英語を公用語にしている国」はもっとあります。
例えば、インド、アフリカの国々、シンガポール…
留学先は英語圏が良いんだったら、なんでインドはダメなの?
となると、
「やっぱり、”本場の”英語の発音で学びたいから…強い訛りは欲しくない」
という返答が来ます。
ちなみに、イギリスやアメリカでも、地域によってはめちゃくちゃ訛りが強いですよ!
高校の友達はイギリスに留学して、かなりヘビーなアクセントと共に帰ってきました。
英語圏の中でも、
「アメリカ、イギリス…等は訛っていない」「インド、アフリカ…等は訛っている」という認識です。
つまり、生徒さんたちが無意識に指している「英語圏」とは、
「学校の教材で使われるような英語の発音」で話す国、のことなのだと思います。
発音よりも、もっと大事なことがある
確かに、発音は大事です。ある程度同じ音で話さないと、コミュニケーションはできませんし…。
でも、もうすでに相手に伝わるように発音できているなら、それ以上を求める必要はあるでしょうか?
テレビで聞くような、イギリスやアメリカの”ネイティブの”発音を身に付けたとしても、
おそらく、人前でちょっとした見栄が張れる以上のメリットはないのではないでしょうか。
では、「良い発音」よりも役に立ち、もっと私たちが力を入れなければいけない英語のスキルはなんでしょう?
もちろん、単語力や文法力、スピーキングなども大事ですが、
私が留学中に痛感したのは、圧倒的に「リスニング力」でした。
フィンランド留学時代、世界中からの留学生たちに囲まれた環境では、
常に、様々な訛りの英語が飛び交っていました。
フランス訛り、ドイツ訛り、ロシア訛り、アフリカ訛り、ブラジル訛り、タイ訛り….
ちなみに、個人的に今までで一番苦戦したのは、ハンガリー訛りでした。
そんな中、あなたの発音なんて誰も気にしません。
勝負の分かれ目は、英語の訛りに関わらず、相手の話す内容を聞き取れる力があるかどうか。
学校教育でイギリス英語やアメリカ英語しか聞いてこなかった私たちにとって、この勝負は圧倒的不利です。
訛りの強い留学生が話す時、他の留学生たちは内容が理解できて大笑いしているのに、
私だけ聞き取れず置いてけぼり、なんてことはしょっちゅうありました。
「お前の訛りが強いから聞き取れないんだ!」は、通用しないのです。聞き取れない自分が悪いのです。
よく街中で「世界で活躍できるホンモノの英語力を!!」なんて宣伝を聞いたりしますが、
本当に国際的な場で必要なのは、”ネイティブの英語” ではなく、
なのだ、と留学を通して思いました。
世界の訛りを理解できるリスニング力をつけよう
フィンランド留学時代、フィンランド人、ガーナ人、アメリカ人の友達がいました。
ガーナの友人の話す英語は、とても訛りが強く、私は彼が言っていることを完全に理解できるようになるまで、約数か月かかりました。
しかし、それはアメリカの友人も同じだったのです。
“ネイティブ”とされるアメリカの友人も、ガーナの友人が話す英語がなかなか理解できないようでした。
最初から完全に理解できていたのは、フィンランドの友人だけだったのです。
なぜフィンランド人の友人は、ガーナの友人の英語を理解できたのでしょうか?
彼にその理由を聞いてみたところ、
「学校のリスニングで、世界中の英語を聞かされるからだよ」とのこと。
つまり、英語の授業の中で、フランスやドイツやアフリカ、
世界のあらゆる国の人が話す英語を聞いて、リスニングを学んでいたということです。
学校でイギリス英語やアメリカ英語にしか触れる機会のない私たちにとって、
訛りのある英語が聞き取れないのは当然のこと。
日本の英語学習は試験中心であり、まだまだ実用的な英語学習ではないのは否めません。
「英語が訛っていない国なんてない」「ホンモノの英語など存在しない」ということを念頭において、
ぜひ日本にいるうちから、意識していろんな国の英語を聞いてみてください。
非英語圏のすすめ
以上のことを踏まえて「非英語圏も全然悪くない!」ということを説明していきます。
実は、英語圏は英語学習に不向き??
私が知人の話を聞く中では、イギリスやアメリカなどのメジャーな国に留学する人の中には、
現地に全く馴染めず、英語をあまり話さないまま帰国してしまう人が少なくないようです。
例えば、フィンランドで留学していた時に出会った日本人の友人は、
アメリカでの1年間の留学中、現地の人に全く相手にされなかったといいます。
そのことをきっかけに英語で人と話すことに恐怖心が芽生えてしまい、
部屋にこもり気味になり、なるべく英語を話さない日々を送っていたそうです。
アメリカに留学した他の日本人の知り合いによると、
現地の人の中には、あなたの話す英語のスピードが遅かったり、少し詰まったりするだけで
あからさまに無視したり、怪訝な顔をする方がいるようで、
このような同じようなことを多くの方から聞くため、あながち誇張でもなさそうです。
特に、田舎で、移民が少ない地域ほど、そのような傾向があるらしい…
このように、英語圏という一見英語学習にはベストに見える環境にいたとしても、
結局、その機会を英語学習に活かすことができるかは「自分次第」といったところでしょう。
また、言語学習経験のないネイティブが多い地域では、
言語学習の難しさ/辛さを分かってもらえない分、冷たくされることが多い、
と言えるのかもしれません。
非英語圏は、言語学習に寛容
筆者は、フィンランドしか長期留学の経験がないため、少々説得力に欠けますが、
英語圏と比べ、非英語圏の国はより言語学習に寛容で、
私たちにとって英語を学習しやすい環境と言えるかもしれません。
フィンランド留学時代、よく大学の教授に言われたのは
「英語のレベルで、人の能力は測れない」です。
「所詮、伝わればいいの。肝心なのは、その人が何をできるか、どんなスキルを持っているかでしょう。」
フィンランドの方たちは英語が堪能とはいえ、
英語は母国語ではなく、学習して身に付けた言語です。
そのため、英語を学習する過程で、私たちと同じような悩みや苦労を経験してきています。
そんな言語学習の難しさ/辛さを知っているからこそ、
こちらが英語を話している時に詰まってしまったり、単語がわからない時にも
理解を示してくれるように感じます。
また、「英語のレベルで人の能力は測れない」で見られたように、
相手の英語のレベルによって、態度を変えたりする人は少ないです。
相手の英語に少しでも不自由があると、すぐに見下してくる人が英語圏にはまだまだ多くいますが、
非英語圏では、お互いに英語学習者である身のため、そのようなことは起こりくいと言えます。
「私はネイティブじゃないから」という言い訳ができなくなる
非英語圏の大学には、イギリスやアメリカなどのいわゆる”英語ネイティブ”はあまり集まりません。
彼ら自身、英語が通用するか不安なところへ、あまり好んで行きたがらないようです。
フィンランドのヨエンスーの大学では、アメリカは5人くらいいましたが、イギリスやカナダ人は0,オーストラリアは1人いました。
というわけで、ほとんどが非英語圏出身。
なのに、ネイティブレベルに流暢に話せる人がほとんどです。
そんな彼らを見ていると、相当な努力をしたんだろうな、負けてられないな、と思います。
努力で英語を身に付けた友人たちに囲まれることで、
まだまだ自分には努力できる部分があることを思い知るきっかけになるのではないでしょうか。
英語の限界を知ることができる
フィンランド語は、世界で一番難しい言語と称されていることもあり、
私は当初「フィンランド語なんて絶対学ぶか!!」と思いながら留学を開始しました。
実際、英語だけで事足りました。フィンランド語なんて学ばなくても十分暮らしていけたのです。
しかし、私はだんだんとあることに気が付きました。
「あれ、言語って、意外と深く文化と結びついているんだなぁ…」
フィンランドという国や文化が大好きになり、フィンランドの友人たちが増えていく中、
「もっとこの人たちの文化を理解したい!!」と思うようになり、
それには言語を学ぶのが手っ取り早いことに気が付いたのです。
英語にしか興味のなかった私にはなかなか気づけなかったのですが、
例えば、その国の言語のボキャブラリーには、その国の人が大切にしているものを表すワードが多く含まれています。
日本では「米」は大切な食べ物なので、ごはん、シャリ、稲などの類義語が多く存在します。
一方、フィンランドでは「雪」が生活の中で大きなウェイトを占めるので、雪に関するワードが数多く存在します。
これはたったの一例。
言語には他にも、現地で暮らす人々の暮らしぶりや、考え方がたくさん詰まっています。
英語は世界中で通用する言語ではありますが、
その国の文化を理解するには、英語だけでは到底不十分です。
非英語圏に留学することによって、こうした言語の多様性の重要性を痛感することができます。
留学は、英語よりも大事なものを与えてくれる
以上、交換留学を英語上達の観点から考察してきましたが、
ここでいったん英語から離れて、
改めて、私が思う「留学そのものの魅力」についてお話させてください。
交換留学で得られるもの
よく「留学はしっかりした目的がなければ意味がない!」
「専門分野の知識を高めるために留学するのだ!」と聞きますが、
学部の交換留学では、専門性は高められたとしても、たかが知れているでしょう。
よほど初めから専門性の高い学部でない限り、
学部の時点では、これから専門を絞っていく、基礎の学習をしている段階だと思います。
大学院のように、現地の教授の下について研究をする「専門性を高めていく」のは、
学部生にとっては、もう少し先の話なのではないでしょうか。
私の学部は特に、専門性の低い学部でした。それなのに、留学面接では「なんの専門性を高めに行くのか?」をしつこく問われ..
まだ勉強したいことが見つかっていない大学1年の私には、「専門性を高めることだけが留学の形なのだろうか?」と疑問に思うことが多かったです。
では、交換留学という短い期間で、私たちが得られる最大の学習はなんなのか。
私にとって、それは人生学習でした。
慣れない環境で自力で暮らすのは、思っている以上に実りのある経験なのです。
・考え方の全く違う人たちとの出会いによる刺激
・困難を自分で打破する根性
・不安に打ち勝つ力
・自己決断力
などなど、気が付いていないうちに、私たちは留学先で日々新しい経験をしていて、
それがやがて「自信がつく」や「視野が広がる」と言った、
よく留学から帰ってきた人たちが口をそろえて言う「留学のメリット」につながっていくのだと思います。
「当たり前」を問う「留学」
その中でも、私が留学をおすすめする一番の理由は、「ガイジンになる経験ができること」です。
日本に暮らし、日本人に囲まれている生活の中では、
・ほとんどの物事は想定内で動き、
・皆ある程度似たような考え方を共有して
生活しています。
しかし、海外に出て、その国の「ガイジン」として住んでみると、
・現地の「想定内」、自分の「想定外」で物事が動き、
・自分以外の人は似たような考えを共有していて、自分の考え方は「斬新な考え」として処理される
世界に一変します。
こうした経験を通じて、
私たちは今まで自分たちが信じてきた「当たり前」が、
「本当に『当たり前』だったのか?」を再考し始めます。
留学を終えた人が「日本で当たり前と思っていたことが、当たり前じゃないんだと知った」
と言うのは、ガイジンになるという経験を経たからでしょう。
「当たり前」を批判することで、問題が見えてくる
では、自分の信じてきた「当たり前」を再考することで、どんなメリットを得られるのでしょうか。
それは、今まで気づけなかった/見えなかった「問題」が見えてくる、ことです。
一見、私たちの平和な日常には、何も問題点がなさそうに見えますが、
例えば、プラスチック使用量や食品ロスが膨大であることや、
黒い肌の人の横をなんとなしに避けてしまうこと、
ヴィーガンという言葉を知っている人がまだまだ少ないことなど、
私たちの些細な言動の中にも、問題は隠れています。
ですが、ずっと同じような考え方を持った人の輪の中で暮らしていると、
本来問題視されるべきものも、「そういうものなんだ」と当たり前に思ってしまう。
つまり、問題が見えにくいのです。
そんな問題がすっかり溶け込んでしまった、私たちの日常の景色を見直すきっかけの一つが、
「留学」であると思います。
「ガイジン」になって、その国の人たちにとっての「当たり前の景色」の中で住んでみる。
スムーズにいかない異国生活で、「あれ?」と思ったことに意識して気を留めてみてください。
そのつっかかりが、自分が日本で暮らしている中では気が付かなかった問題かもしれません。
周りの友人や他の国の留学生がどう思っているのか、意見を聞いて、
そして自分はそれに対してどう思うのか、自分なりに考えてみる。
この作業を通じて、課題発見のための批判的な視点を養うことができるのではないでしょうか。
また、私がそうであったように、
問題に気が付く中で、自分が取り組みたい問題/研究したい対象も見つかるかもしれません。
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